関東大震災では、地震発生直後から、多くのキャメラマンが被災現場に赴いて惨状を記録し、映画館やホールで公開された映像は大きな反響を呼んだと言われています。全篇を通してみることで、災害の実態を目の当たりにするとともに、救援や復興にかかわった多くのプレイヤーの存在を知ることにより、文化史としての関東大震災を読み解くきっかけになるかもしれません。
- 場所からクリップをみる
- シーンからクリップをみる
- 全篇をみる
-
東京大震災の惨状
1923年大阪毎日新聞一面のアップから始まり、東京の各所(東京駅、上野駅、神田橋、万世橋、警視庁、帝国劇場、銀座、京橋、上野公園、上野広小路、日暮里駅)の状況が綴られていく。内容は『東京関東地方 大震災惨害實况 大正十二年九月一日二日三日』の「第二報」部分とほぼ同一であり、9月3日の鎮火以降に撮影されたフッテージと思われる。ただし、オリジナルフォーマットである35㎜フィルムを元素材としているため、ディテールの確認はしやすくなっている。
2023/09/01 公開作品詳細 -
第四報 東京大震災惨状
1923年前半は吾妻橋や両国など隅田川沿岸の被害を紹介し、後半は銀座や日本橋の惨状を写し出し、芝浦海岸での救援の様子を撮ったカットで終わっている。内容は『東京関東地方 大震災惨害實况 大正十二年九月一日二日三日』の「第四報」とほぼ重複している。ただし、オリジナルフォーマットである35㎜フィルムを元素材としているため、鮮明なディテールが確認できる。
2023/09/01 公開作品詳細 -
航空船にて復興の帝都へ
1926年飛行船からの航空撮影によって、急速に復興が進む東京の姿を収めた記録。霞ヶ浦海軍航空隊本部を離陸した飛行船は、常磐線上空を辿りながら、上野を皮切りに本郷、神田、九段、新宿、東京駅、神田、両国、浅草を周遊して帰還している。
2023/09/01 公開作品詳細 -
北伊豆震災
1931年1930年11月26日、伊豆半島北部を震源に発生した北伊豆地震による惨状を、とりわけ激甚な被害に見舞われた地域での取材により紹介した作品。家屋の倒潰や復旧作業に従事する人々の姿に加え、地割れや山崩れの様子も捉え、幅広い記録性への志向がうかがわれる。
2023/09/01 公開作品詳細 -
地震と震災
1931年今村明恒博士指導のもと、1930年11月26日に発生した北伊豆地震を事例に、地塊の分布や地震発生のメカニズム、地層の変化や建物被害のパターンを紹介するとともに、木造建築の耐震建築について、詳しい解説を施している。
2023/09/01 公開作品詳細 -
日本之大地震
1923年主に家庭用として販売されていた9.5㎜フィルム(パテベビー版)による震災の記録。前半は東京、後半は横浜の震災前と被災状況の描写で構成されている。特に横浜のパートは、炎上中の船舶や倒潰した建物、停泊中の船に担架で運ばれる被災者など、特筆すべき場面が多い。
2023/09/01 公開作品詳細 -
震災後之日本
1923年主に家庭用として販売されていた9.5㎜フィルム(パテベビー版)により、震災後の復旧や救護など日常を取り戻すための諸活動に焦点を絞ったユニークな1本。瓦礫や地割れの復旧、焼損した建物の爆破解体、遺体の火葬、仮小屋生活、医師、看護婦による施療に協力する青年団、港における救援物資や米俵などの荷揚げや被災者への配給など、救護活動の諸相が淡々と綴られている。
2023/09/01 公開作品詳細 -
帝都復興
1930年関東大震災発生から6年半を経て、東京の震災復興を祝う天皇の巡幸(1930年3月24日)と帝都復興祭(3月26日)に合わせ、復興局が復興事業の全貌とその成果を広めるために製作した長篇記録映画。現存するフィルムでは、震災直後の状況、統計や復興事業の紹介、復興後の都市生活を描いた4編に、巡幸と式典を写した2編が繋ぎこまれた形で残されている。
2023/03/03 公開作品詳細 -
復興帝都シンフオニー
1929年1929年10月19日から11月10日まで東京・日比谷公園内の市政会館で開催された帝都復興展覧会での上映を目的に、主催者の東京市政調査会が製作した記録映画。近代都市の諸相とそこで生きる人々の姿を、素早いモンタージュや大胆なアングルで切り取っていく手法は、当時世界各国の映画作家たちが取り組んだ「シティ・シンフォニー・フィルム」と称される映画群の影響をうかがわせる。
2023/03/03 公開作品詳細 -
大震災以前 帝都の壯觀
1925年関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の各地を、震災前に撮影された映像によって紹介し、栄華と繁栄を極め、威厳に溢れたかつての帝都の姿を懐古する。人込みに溢れた浅草六区の小屋に立つ幟から、撮影時期は1923年9月1日からあまり離れた時期ではないと思われる。
2023/03/03 公開作品詳細 -
大正拾弐年九月一日 猛火と屍の東京を踏みて
1923年当時、大阪・天王寺に所在した映画製作会社、ハヤカワ藝術映画製作所が、2名の撮影技師を東京に派遣し、被災した街の姿を収めた記録映画。名所を巡る東京見物的な性格を有するがゆえに、吉原の焼跡など、この作品にしか存在が認められない貴重な映像が残されている。元素材となる可燃性フィルムの溶解により、エンドが確認できず、作品の全体像は掴めない。
2022/12/23 公開作品詳細 -
関東大震災[伊奈精一版]
1923年劇映画の監督として戦前に活躍した伊奈精一が、日活入社以前に朝日新聞のニュースカメラマンとして活動していたという時期に撮影したと見られる震災映像。前半は他作品でも見られるカットでつながれているが、後半の横浜の場面はオリジナルと見られ、移動車から捉えた凄惨たる焦土や街行く被災者の姿とともに、県庁仮庁舎や海軍救護所で要人を写したカットからは、報道的な姿勢を読み取ることもできるだろう。
2022/11/02 公開作品詳細 -
大正十二年九月一日 帝都大震災大火災 大惨状
1923年文部省製作『關東大震大火實況』とほぼ同一の素材により構成された一本だが、本作にしかないカットやフレームが一部残され、編集も異なるところがある。中間字幕のデザインにある結び柏のロゴから、帝國キネマ演藝が関与していると思われるが、撮影クレジットに東京シネマ商會の芹川勢三と白井茂の連名が記されていることから、文部省が東京シネマ商會から素材を買い上げる前に帝キネに販売していた素材の可能性もある。
2022/09/01 公開作品詳細 -
帝都大震災 大正十二年九月一日(別題名 震災ト三井)
1923年類焼により建物内部を焼失した三井本館等の被災状況と、三井の寄贈により建設された日比谷公園と上野・不忍池畔のバラックの様子を紹介する。同一映像が若干編集を変えながら繰り返しつながれているとともに、フィルム1巻目にあたる冒頭10分は、既存のフィルムからの重複によるものだが、中間字幕の枠飾りのデザインは一貫しているので、全体として1つの作品として取り扱われていた可能性がある。
2022/07/01 公開作品詳細 -
東京関東地方 大震災惨害實况 大正十二年九月一日二日三日
1923年兵庫県篠山町(現・丹波篠山市)の郷土新聞であった兵阪新聞社のクレジットがある作品。「第一報」で紹介される静岡県内の被災状況は、現存する映像ではこのフッテージでしか見ることができない。他作品との重複が多い「第二報」「第四報」の撮影は、地震発生から十日後あたりまでをカバーしていると推測される。
2022/03/31 公開作品詳細 -
関東大震災実況
1923年日活のカメラマンが向島の撮影所を飛び出し、地震発生当日から3、4日にかけての被災状況を収めたフッテージを含む一篇。同一画面の繰り返しや別作品の繋ぎこみが見られる素材だが、当時「決死的」と喧伝された撮影による映像の速報性や記録性とともに、構図やフレームに対するカメラマンの高い意識もうかがわれる。
2022/02/04 公開作品詳細 -
東京大震災
1923年震災記録の映像に日本語、英語の字幕が挿入され、外国人向けに公開されたと思われる作品。火災炎上中から鎮火後にかけての前半は、『関東大震災』[返還映画版]とカットはほとんど重複し、編集も酷似している。地震発生から数日後と思われる後半は、人々を観察するカメラにも落ち着きが見られ、異なるソースの映像を使用したものと見られる。
2021/12/24 公開作品詳細 -
帝都の大震災 大正十二年九月一日
1923年震災前のイメージカットから始まる構成で、語り調の中間字幕が印象的な一篇。撮影場所は上野、浅草周辺が多いが、主に震災当日と思われる火炎や強風の激しさに度肝を抜かれる。『関東大震災』[返還映画版]や『東京大震災』との間で多くのカットが重複しているが、編集にはかなりの違いが見られる。
2021/12/24 公開作品詳細 -
関東大震災[返還映画版]
1923年上野界隈や浅草十二階などが登場する前半は、激しい火焔が強風に煽られている様子や、街頭や線路上を避難民が埋め尽くす場面が記録されており、地震発生から間もない時刻に撮影が行われたものと思われる。鎮火後に撮ったと見られる後半では、焦土と化した各地の光景が次々と紹介される。
2021/11/05 公開作品詳細 -
關東大震大火實況
1923年関東大震災に関する映画のなかで、白井茂キャメラマンの「決死的撮影」により惨状を記録したことで知られる1本。東京、横浜の被災状況から、官民挙げての救護・治安維持活動、早くも始った復興への歩みに至るまでを、5巻ものの長篇にまとめている。
2021/09/01 公開作品詳細