関東大震災[伊奈精一版]
作品詳細
映画題名 | 関東大震災[伊奈精一版] |
---|---|
映画題名ヨミ | カントウダイシンサイ[イナセイイチバン] |
製作年月日 | 1923年 |
時間(分) | 14 |
サウンド | サイレント |
カラーの種類 | 染色、調色 |
作品解説 | 劇映画の監督として戦前に活躍した伊奈精一が、日活入社以前に朝日新聞のニュースカメラマンとして活動していたという時期に撮影したと見られる震災映像。前半は他作品でも見られるカットでつながれているが、後半の横浜の場面はオリジナルと見られ、移動車から捉えた凄惨たる焦土や街行く被災者の姿とともに、県庁仮庁舎や海軍救護所で要人を写したカットからは、報道的な姿勢を読み取ることもできるだろう。 |
製作会社 | 伊奈精一 |
スタッフ | 伊奈精一 |
フィルム映写速度 | 16 fps |
備考 | 元素材は、2003年、伊奈監督と結髪師の伊奈もと夫妻の息女で、母と同じく結髪の世界で活躍された中村(伊奈)圭子氏より受贈した35㎜可燃性上映用プリント。 伊奈精一(1898-1962)の映画監督以前の経歴については、中村圭子氏、中村京子氏の証言に拠る。東京・本郷生まれの伊奈精一が日活大将軍撮影所で監督デビューしたのは1926年だが、1924年3月にはすでに村田實監督『懐しの郷』、細山喜代松監督『春色梅暦』のロケ現場に就いており、これに先立つ向島撮影所時代から日活と関わりがあった可能性もある。ただし、関東大震災時の撮影について裏づける資料は、現時点では発見されていない。 |
参考文献 | 伊奈もと『髪と女優』(日本週報社、1961年)。もと氏と圭子氏の関係については、上掲書「付録 伊奈さん母娘の場合」215-220頁を参照。 伊奈精一「落っこちたり擲られたり」(『日活画報』1924年5月号、日活画報社)28-29頁。 |
- 本動画には一部センシティブな描写が含まれている場合があります。