帝都復興

作品詳細

映画題名 帝都復興
映画題名ヨミ テイトフッコウ
製作年月日 1930年
時間(分) 107
サウンド サイレント
カラーの種類 白黒
作品解説 関東大震災発生から6年半を経て、東京の震災復興を祝う天皇の巡幸(1930年3月24日)と帝都復興祭(3月26日)に合わせ、復興局が復興事業の全貌とその成果を広めるために製作した長篇記録映画。現存するフィルムでは、震災直後の状況、統計や復興事業の紹介、復興後の都市生活を描いた4編に、巡幸と式典を写した2編が繋ぎこまれた形で残されている。
製作会社 復興局、松竹キネマ株式会社、財團法人 大日本教育映画協會
スタッフ 復興局[編輯]、小田浜太郎 松竹キネマ株式会社、糸井浅治郎 財團法人 大日本教育映画協會[撮影 監督]
検閲番号等 『内務省検閲時報』によれば、初申請は1930年3月24日で、この日3本のプリントが検閲を通過している(製作者、申請者はいずれも、松竹キネマ株式会社)。
・E3613/日、實、時事/7巻/2,070メートル
・E3614/日、實、時事/7巻/2,073メートル
・E3615/日、實、時事/7巻/2,096メートル
また、今回公開している『帝都復興』に含まれる「御巡幸編」と「完成式典編」は、当初別々の作品として検閲を通過しており、のちに一篇にまとめられた可能性がある。なお、これらの製作者、申請者もすべて松竹キネマ株式会社である。
・1930年3月24日/E3568/日、實、時事/復興の帝都 聖上御巡幸/1巻/144メートル
・1930年3月27日/E3792/日、實、時事/帝都復興 完成式典/1巻/202メートル
フィルム映写速度 18 fps
備考

元素材は、1966年に35㎜可燃性ポジフィルムから不燃化した35㎜インターネガを基に、2005年に作成され、同年のイタリア・ポルデノーネ無声映画祭の特集企画「東からの光-日本映画を顕彰する」に出品した35㎜英語字幕付きポジプリントである(英語字幕翻訳:水野詠子、ジェイソン・グレイ、協力:有限会社ローデッド・フィルムズ)。

本作の製作者と見られる復興局は、震災後の1923年9月27日に設置された首相直属の帝都復興院が立案した帝都復興計画が、予算を巡る路線対立と虎ノ門事件による山本権兵衛内閣の総辞職に伴い廃止を余儀なくされ、新たに1924年2月25日に内務省の外局として設置された機関。1930年4月1日に復興事務局に改組され、1932年4月1日に廃局。
本作の台本と、本作のシナリオを執筆したと言われる復興局橋梁課長・成瀬勝武による製作経緯に関する証言が、『エンジニアー』第九巻第三號(1930年)に掲載されている。ここでは、作品の意図を「見あきないと云ふことを目的として事業の實際とモダーン帝都の社會相とを寫して行く」こととし、作品後半が名所案内になることを忌避するために、ヴァルター・ルットマン『伯林―大都会交響楽』(Berlin - Die Sinfonie der Großstadt、1927年。日本公開は28年9月)の影響に言及しつつ、そこから脱したいという意気込みを語っている。

参考文献 「映畫『帝都復興』」(『エンジニアー』第九巻第三號、都市工學社、1930年)138-147頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1886983/1/14
『シンポジウム報告論集 関東大震災と記録映画―都市の死と再生―』(東京大学大学院人文社会系研究科21世紀COEプログラム「生命の文化・価値をめぐる『死生学』の構築」、2004年)15頁
『國際映画新聞 第三十九號 五月號』(國際映画通信社、1930年)46頁に、『帝都復興』の題名は記されていないが、復興局が完成した映画の一般公開終了後に、義捐金を受けた諸外国へプリントの寄贈を行う予定である旨が報じられている。
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