帝都の大震災 大正十二年九月一日

作品詳細

映画題名 帝都の大震災 大正十二年九月一日
映画題名ヨミ テイトノダイシンサイ タイショウジュウニネンクガツツイタチ
製作年月日 1923年
時間(分) 14
サウンド サイレント
カラーの種類 白黒
作品解説 震災前のイメージカットから始まる構成で、語り調の中間字幕が印象的な一篇。撮影場所は上野、浅草周辺が多いが、主に震災当日と思われる火炎や強風の激しさに度肝を抜かれる。『関東大震災』[返還映画版]や『東京大震災』との間で多くのカットが重複しているが、編集にはかなりの違いが見られる。
スタッフ 撮影:岩岡商會
検閲番号等 岩岡商會による震災関連映画の内務省検閲記録の初出は、1925年8月29日に許可された『帝都大震災』(1716番/日、實、時事/1巻/175メートル/製作者=岩岡商會/申請者=桑野商會/新)。同年9月8日には、八千代生命保険株式会社が申請者した『東京大震大震災』と題する岩岡商會製作のフィルム2本が、検閲許可を得ている(2018番/1巻/292メートル、2019番/1巻/293メートル)。
フィルム映写速度 16 fps
備考 素材は、2008年度に共同テレビジョンより寄贈を受けた16㎜プリント。
撮影としてクレジットされている岩岡商會は、当時下谷区上根岸41番地に所在していた映画製作会社。社主は岩岡巽。社員は10名ほどで、カメラマンは岩岡を含め3人だったという。関東大震災後、八千代生命保険会社が兵庫県西宮市甲陽園の甲陽シネマ撮影所を買収し、東亜キネマを創立した際、岩岡は甲陽撮影所の所長に招かれる。27年に甲陽撮影所は閉鎖。その後、岩岡商會は戦時期の統制により廃業した。
なお、東京理科大学工学部第二部建築学科における研究によれば、岩岡商會がクレジットされた関東大震災関連のフィルムは、他にも所在が確認されている。タイトルは『想ひ起す帝都の大震災 岩岡商會撮影』。地震発生直後と思われる映像には、本作と同一のカットが多く、中間字幕にも同一のテキストが使われているカットがある。ただし、冒頭に震災前の各地の光景が紹介され、地震による火災の鎮火後の様子も描かれている。このことから、『想ひ起す帝都の大震災』は、1930年8月29日に内務省検閲を通過した同タイトルのフィルム(E10996番/1巻/305メートル/製作者=岩岡商會/申請者=東京市社會局)の複製物ではないか、と推察する。
岩岡商會による撮影の実態を明らかにする資料は不明だが、『活動倶楽部』第七巻二月号(1924年)によれば「例の最も傑出した震災映畫を製作した」会社として、同社がトップに挙げられていることから、当時「岩岡商會撮影」による映像への評価は高かったことが伺われる。
参考文献 日本商工通信社藏版『大正十一年版職業別電話名簿』(1922年)420頁。上野幸清『カメラかついで五十年』(私家版、1990年)10頁。「一九五四年教育映画祭によせて 座談会 教育映画”あの頃” 三十年前から日本の教育映画を育ててきた人々の集い」(『視聴覚教育』1954年12月号、日本視聴覚教育協会)34-36頁。宝田雅之、作本圭、鈴木一葉「卒業研究 関東大震災被害の映像の分析」(東京理科大学工学部第二部建築学科 辻本研究室、2013年)。森富太「最近激増せる映畫製作業者に望む」(『活動倶楽部』第七巻二月号、1924年、活動社)34頁。
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