關東大震大火實況

作品詳細

映画題名 關東大震大火實況
映画題名ヨミ カントウタイシンタイカジッキョウ
制作年月日 1923年
時間(分) 64[配信動画では、重複するタイトルを一部削除しており、63分になっています]
サウンド サイレント
カラーの種類 白黒
作品解説 関東大震災に関する映画のなかで、白井茂キャメラマンの「決死的撮影」により惨状を記録したことで知られる1本。東京、横浜の被災状況から、官民挙げての救護・治安維持活動、早くも始った復興への歩みに至るまでを、5巻ものの長篇にまとめている。
制作会社 文部省社會教育課
配給会社 文部省社會教育課
配給年月日 1923年
スタッフ 撮影監督:文部省社會教育課、撮影:東京シネマ商會
検閲番号等 サイトで公開する動画の元素材となる2本の映画フィルムに関する検閲記録は、以下の通りである。
(1)曹洞宗寶珠寺神龍寺旧蔵の35㎜可燃性プリントについては、フィルム上で検閲の履歴を確認することはできていない。
(2)文部省旧蔵の35㎜不燃性ネガフィルムは、フィルム上に焼き付けられている内務省検閲番号K869から、元素材と考えられる35㎜可燃性プリントは、1936年1月22日検閲許可されたものと思われる(日、實、時事(種類)/關東大震大火實況(題名)/5(巻数)/1,164(米数)/文部省(製作者)/文部省(申請者)/免(備考))。
なお、内務省警保局による国の一元的な検閲制度がスタートした1925年7月1日以降、初めて検閲申請の許可を得た同作品のフィルムは、6263番(検閲月日 1925年12月18日)。この検閲では、公安目的により場面3か所の切除と、字幕1か所「あゝ痛々しい白骨の山」の切除と説明台本からの同字句の抹消が命じられている。ただし、少なくとも字幕に関するかぎり、現存するフィルムに、「あゝ!/いたましい白骨乃山」という字句の字幕は、そのまま残されている。
フィルム映写速度 16 fps
備考 サイトで公開する動画の元素材は以下の2本の映画フィルムである。
(1)全5巻中、欠落している3巻目を除く4巻については、茨城県土浦市に所在する曹洞宗寶珠寺神龍寺旧蔵の35㎜可燃性プリントである(一部、不燃性素材が含まれている)。4巻、2,813フィート13コマ(857,442m)、47分[16 fps]。
同寺第24世秋元梅峰和尚により創設された大日本仏教護国団が所有していたフィルムで、同組織による社会事業活動の一環として使用されたと推測されるが、所蔵の経緯や運用実態については不明である。
(2)上記のプリントで欠落している3巻目、ならびに一部欠落しているカットについては、文部省が1958年度に作成・取得し、1971年度に東京国立近代美術館に管理換された35㎜不燃性ネガを使用している。5巻、3,818フィート10コマ(1,163.757m)、64分[16 fps]。なお、この尺長は、文部省普通學務局社會教育課編『大正十五年一月 文部省製作 活動寫眞フイルム目録』(1926年)に記載されている尺長(3,900尺。約3,877フィート)と近いため、製作当時の長さにほぼ近い完全度を持ったフィルムと考えられる。

撮影監督としてクレジットされている文部省の社会教育担当課では、乗杉嘉寿課長の主導により、震災の記録を映画で残すことが提案され、学芸官の中田俊造が製作の実務を担当したと言われている。『關東大震大火實況』を機に、文部省では政策目的に沿った映画製作を恒常的に行うことになった。
撮影クレジットの東京シネマ商会は、Mカシー商会、日活向島撮影所で撮影技師を務めた芹川政一が1917年に独立し、小石川区関口水道町に興した映画製作会社。当初、連鎖劇や広告用映画の撮影を担当し、本作の委託を契機に、文部省をはじめ、諸官庁の宣伝映画を受けるようになる。
参考文献 文部省普通學務局社會教育課編『大正十五年一月 文部省製作 活動寫眞フイルム目録』(1926年)64-70頁。白井茂「記録映画について」東京国立近代美術館フィルムセンター編『FC 11 日本の記録映画特集ー戦前篇⑴』(1973年)6-7頁。白井茂『カメラと人生―白井茂回顧録―』(ユニ通信社、1983年)42-51頁。日本大学芸術学部映画学科編集委員会編『キネマを聞く 日本映画史の証言者30人 PART 1』(江戸クリエート、1994年)104-118頁。フィルム・ライブラリー助成協議会編『日本映画史素稿⑸ 中田俊造氏の巻』(1970年)19-21頁。東京国立近代美術館フィルムセンター編『FC 11 日本の記録映画特集ー戦前篇⑴』(1973年)5頁。田中純一郎『日本教育映画発達史』(蝸牛社、1979年)49-51頁。
  • 本動画には一部センシティブな描写が含まれている場合があります。