震災から復興へ―関東大震災を起点に都市と災害をめぐる映像をみる

未曾有の被害をもたらした関東大震災からの復興は、迅速な計画立案にもかかわらず、政治的な対立や人心の混乱などにより、実現への道のりは困難を極めましたが、1930年の帝都復興祭開催によって、一応の達成を果たします。一方、関東大震災によってその記録性や速報性という機能の可能性を大いに知らしめた映画は、1920年代後半から30年代にかけて、大衆娯楽の王としてますます巨大化した業界の繁栄をバックに、記録映画、教育映画、ニュース映画という領域においても、徐々にその地歩を固めていくことになりました。こうした流れのなかで、映画は地震や火災のメカニズムを教え、防災への備えを周知する教育的な目的とともに、震災の悲惨極まる体験の記憶を人々に繰り返し想起させ、そこから立ち上がるための勇気を奮い立たせるための絶好のメディアとしても大いに活用されたのです。ここでは、震災前の東京の栄華を懐古的に振り返った作品から、復興事業により実現した災害に強いインフラが支えるモダンな都市生活を謳歌する人々の姿を写した作品などを紹介することで、震災から復興へと向かう時代における映像の意味を考えてみようと思います。

  • 航空船にて復興の帝都へ

    1926年

    文部省より撮影を委託された東京シネマ商会の白井茂カメラマンが、霞ヶ浦海軍航空隊本部所属の最新鋭の飛行船に搭乗し、急速に復興が進む東京の各所を上空からカメラに収めた記録。常磐線上空を経て、南千住から上野に入り、本郷、神田、九段、新宿、東京駅、神田、両国、浅草を周遊して帰還している。ユニークな震災復興の記録であるとともに、純日本製一号型四号機として喧伝された飛行船のPR映画にもなっている。

    2023/09/01 公開
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  • 北伊豆震災

    1931年

    関東大震災から7年を経て、ふたたび北伊豆地方を襲った地震の災害記録。1930年11月26日、北伊豆断層帯のズレによって生じた振動は、静岡、神奈川両県をまたいで大きな被害をもたらしたが、本作ではとりわけ多くの建物が倒潰に見舞われた沼津、三島、大場、原木、韮山、長岡などの惨状を報告している。また、修善寺温泉での堤防崩壊や、各地で発生した山崩れや地割れも広範に取材しており、とりわけ十国峠附近の丘陵に出現した巨大な亀裂は衝撃的である。

    2023/09/01 公開
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  • 地震と震災

    1931年

    地震学の権威であった東京帝大・今村明恒博士の指導のもと、地震、震災、家屋の耐震対策を網羅的かつ詳細に解説した作品。1930年11月26日に発生した北伊豆地震を事例として取り上げ、地塊の分布や地震発生のメカニズム、地層の変化や建物被害のパターンを紹介するとともに、木造建築の耐震建築について、詳しく説明している。作品中に文部省が製作した『關東大震大火實況』(1923年)の映像が引用されているが、裏焼きにより左右が逆転している。

    2023/09/01 公開
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  • 大震災以前 帝都の壯觀

    1925年

    関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の各地を、震災前に撮影された映像によって紹介し、栄華と繁栄を極め、威厳に溢れたかつての帝都の姿を懐古する。人込みに溢れた浅草六区の小屋に立つ幟から、撮影時期は1923年9月1日からあまり離れた時期ではないと思われる。

    2023/03/03 公開
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  • 復興帝都シンフオニー

    1929年

    1929年10月19日から11月10日まで東京・日比谷公園内の市政会館で開催された帝都復興展覧会での上映を目的に、主催者の東京市政調査会が製作した記録映画。近代都市の諸相とそこで生きる人々の姿を、素早いモンタージュや大胆なアングルで切り取っていく手法は、当時世界各国の映画作家たちが取り組んだ「シティ・シンフォニー・フィルム」と称される映画群の影響をうかがわせる。

    2023/03/03 公開
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  • 帝都復興

    1930年

    関東大震災発生から6年半を経て、東京の震災復興を祝う天皇の巡幸(1930年3月24日)と帝都復興祭(3月26日)に合わせ、復興局が復興事業の全貌とその成果を広めるために製作した長篇記録映画。現存するフィルムでは、震災直後の状況、統計や復興事業の紹介、復興後の都市生活を描いた4編に、巡幸と式典を写した2編が繋ぎこまれた形で残されている。

    2023/03/03 公開
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