大震災以前 帝都の壯觀

作品詳細

映画題名 大震災以前 帝都の壯觀
映画題名ヨミ ダイシンサイイゼン テイトノソウカン
製作年月日 1925年
時間(分) 16
サウンド サイレント
カラーの種類 染色
作品解説 関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の各地を、震災前に撮影された映像によって紹介し、栄華と繁栄を極め、威厳に溢れたかつての帝都の姿を懐古する。人込みに溢れた浅草六区の小屋に立つ幟から、撮影時期は1923年9月1日からあまり離れた時期ではないと思われる。
製作会社 八千代生命保険株式會社宣傳課
配給会社 東亜キネマ株式會社
スタッフ 八千代生命宣傳課[撮影]
検閲番号等 『内務省検閲時報』によれば、1925年中に検閲を受けた本作と思われるフィルムは、以下の6件である。
・1925年8月21日/1344番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/新
・1925年8月21日/1345番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複一
・1925年9月18日/2458番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/282メートル/(製作者)岩岡商會/(申請者)八千代生命保険株式會社/複二
・1925年10月14日/3400番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/302メートル/(製作者)東亞キネマ株式会社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複三
・1925年10月14日/3401番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/302メートル/(製作者)東亞キネマ株式会社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複四
・1925年12月12日/5950番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/314メートル/(製作者)東亞キネマ株式会社/(申請者)八千代生命保険株式會社/新
なお、上記の時期以前に公開されたことを裏付ける資料は、今のところ確認できていない。
フィルム映写速度 16 fps
備考 元素材は、2008年に髙田準三氏より受贈した35㎜可燃性ポジフィルム。髙田準三氏は、1899年神奈川県茅ヶ崎に結核療養所・南湖院を設立した医師でキリスト教徒の髙田畊安の直孫。南湖院では、患者の慰安と地域住民との交流を目的に、毎週土曜日に映画会が催され、院の催事を記録した映画とともに、独自に収集した教育映画や文化・記録映画の上映も行われていたと言われるが、本作もその一本と見られる。

トップクレジットにある八千代生命宣伝課について。八千代生命保険株式会社は、1913年4月21日開業、30年4月21日に日華万歳生命へ包括移転が正式認可されることにより解散(『本邦生命保険業史』1933年)。1921年10月以降、業界としては初の活動写真班を結成している。関東大震災後、1923年12月に甲陽キネマ撮影所を買収し、東亜キネマ株式会社設立。この時、撮影所長として、岩岡商会社主で撮影技師の岩岡巽を迎えている。『映畫國策』連載の「日本敎育映畫發達史(其四)」によれば、岩岡商会を買収することで東亜キネマが設立されたとされ、劇映画の製作が中心ではあるが、教育映画の製作とともに、岩岡商会時代の教育映画の販売も行ったという(『映畫國策』1935年8月号)。

1924年1月24日~26日には、八千代生命映画宣伝会を開催している(『本邦生命保険業史』1933年)。同年6月、マキノ映画製作所を吸収合併。翌25年6月、等持院撮影所を東亜キネマ京都撮影所に改称し、所長に八千代生命宣伝部長の小笹正人が就任している。小笹正人については、本人の筆によれば、「大正十四年、僕が初めて映画事業に従事した其の時から…」(岡村紫峯『岡村紫峯遺稿 映画國營論』1933年)から、本格的に映画事業へ参画したのは、1925年からと考えていいだろう。ただし、映画への関与は、それよりもずっと早く、1915~16年ごろ、逓信省郵便貯金局企画課に在籍していた当時、貯金奨励のための「『活動寫眞による宣傳』の一項を提案して置いた。之が後に具体化して、政府の映画による宣傳は、實に逓信省を以て嚆矢とし、其時脚本を廣く募集して、當選作は『山の兄弟』と云ふので、當選の二席だか三席に近藤伊與吉のいたことを知っているのは僕位のものであろう。」と語っている(小笹正人『映画國營論』1938年)。以上より、八千代生命宣伝課クレジットによる『大震災以前 帝都の壮観』の製作に、小笹が関与しているのは、確実ではないかと思われる。

以上、東亜キネマを巡る経緯と、『内務省検閲時報』の記録から、本作は八千代生命保険株式会社宣伝課が企画し、岩岡商会が撮影、東亜キネマが製作・配給・公開したと推定できる。
参考文献 茅ヶ崎市史編集員会編『茅ヶ崎市史ブックレット5 南湖院 高田畊安と湘南のサナトリウム』(2003年)8頁
保険銀行時報社編『本邦生命保険業史』(1933年)「會社及統計篇」228-230頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1280550/1/247
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1280550/1/248
『映畫國策』八月號、第一巻第七號(映畫國策社、1935年)4頁
岡村紫峯『岡村紫峯遺稿 映画國營論』(活動新聞社、1933年)12頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1208830/1/14
小笹正人『映画國營論=業界報告第二輯=』(小笹雄治、1938年)88頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/1094071/1/50
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