デジタルアーカイブに編集後記は要らない

とちぎあきら(国立映画アーカイブ)

皆さんがいまご覧になっているサイト「関東大震災映像デジタルアーカイブ」は、2021年9月1日に開設され、本コラムの公開日となった2023年9月1日に完結いたしました。実質的なサイト制作のスタートは2021年4月、新年度を迎え、文化庁より国立映画アーカイブ(NFAJ)が所蔵する映画フィルムにより多くの人がアクセスできるよう、「歴史的映像デジタルアーカイブ」の推進を目的とした新たな予算計上を受けたときからでした。館内ではさっそく、数ある「歴史的映像」のうち何から始めたらよいか、話し合いがもたれたのですが、思いのほかあっさりと、関東大震災の映画を紹介することに決まりました。地震発生から100年の記念の年を迎える2023年まで、あと2年。貴重な映像資料を提供することにより、震災への関心の高まりに応えられるに違いないと、まずは考えました。同時に、所蔵文化・記録映画を本格的にフィーチャーするサイトを作るのなら、震災記録映画はその嚆矢となるに相応しいコレクションであるという思いが全員に共有されていたゆえの決断だったのではないか、と思っています。

ただし、技術面はすべて同僚スタッフや国立情報学研究所の制作チームに「おんぶにだっこ」とはいえ、コンテンツの選択やページ全体の編集的なところを任された身としては、自信半分、不安半分でした。自信の根拠は言わずもがな、フィルムの所蔵がある、ということです。NFAJでは、国立近代美術館フィルム・ライブラリー時代から70年に及ぶ映画フィルムの収集・保存活動において、その歴史のメルクマールのように、震災記録映画のコレクションを少しずつ増やしてきました。『関東大震災』[返還映画版]という題名で公開している作品の前半(フィルムでは1巻目)は、国立近代美術館設立直後の1953年、戦前より所有していた映画関係者との交渉の末に入手した35㎜可燃性プリント。一方、後半(2巻目)は1967年よりアメリカ議会図書館との協定により始まった戦前日本映画の返還事業で戻ってきた35㎜可燃性プリントが元素材になっています。ともに不燃性フィルムへ複製した際に廃棄されたと思われますが、これが震災記録映画を保存するスタートになりました。文部省監修による長篇映画『關東大震大火實況』は、東京国立近代美術館の1事業であったフィルム・ライブラリーが「フィルムセンター」という名の1課となり、活動の拡充を図り始めた直後の1971年、美術館に所管換された文部省旧蔵の大量のフィルムに含まれていたものです。その後さまざまな場所で発見されることになる本作の所蔵は、ここから始まっています。
 デジタルシフトが急激に進行し始めた2000年前後から、フィルムセンターでは、とりわけ文化・記録映画の製作会社から大量のフィルム寄贈を受けるようになりました。その流れのなかで、2002年に桜映画社から「震災ト三井」のタイトルもある『帝都大震災 大正十二年九月一日』を、2008年には共同テレビジョンから岩岡商會撮影のクレジットが残る『帝都の大震災 大正十二年九月一日』を受贈しました。また、震災への関心がメディア等を介して周年ごとに高まることを背景に、映画会社ではない法人や個人の方々から寄贈の申し出を受けることも増え、その成果として『大正拾弍年九月一日 猛火と屍の東京を踏みて』 『関東大震災』[伊奈精一版]『大正十二年九月一日 帝都大震災大火災 大惨状』などのフィルムを所蔵することができました。
 コレクションが増えるということは、これに伴う調査や研究が進んでいくということでもあります。元フィルムセンター主幹の福間敏矩氏が、上記の作品を含む大量のアメリカ返還映画を、フィルムビュワーを見ながら丹念に行った調査作業は、メモやカードファイルの形で残されてきましたが、これがコレクション・データベースの出発点となっています。地震発生から80周年となった2003年には、東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究室との共催によるシンポジウム「関東大震災と記録映画―都市の死と再生―」を開催し、フィルムセンター研究員も研究発表や上映作品の紹介を行いました。この時の記録は、翌年『報告論集』[注1]として出版されています。また、このサイトで公開されている動画を見れば、異なる作品同士で同じ映像が頻繁に重複して使われていることにすぐ気づかれると思いますが、残存フィルムのこうした複雑なありようについて、どのくらいの重複があり、そこにどのような傾向が見られるのか、当館研究員の大澤浄がフィルムを仔細に調べた結果を美術館紀要に発表しています[注2] 。こうした調査研究の蓄積は、サイトの作品詳細をまとめるうえで欠かせない情報源となりました。
 関東大震災を撮った映像に間違いなさそうだが、どこで撮影したのか、いつ撮影したのか、よくわからない。テロップはないし、中間字幕も少ない。字幕が出ても、次のカットが明らかにその内容とは違う。見ているだけでは、記録性を裏付ける基本情報が得られず、それを補うための文献や資料もほとんどない…震災記録映画は、どれもこうした状態が当たり前でした。そこで、かねてよりおつきあいのあった都市史・災害史研究家の田中傑先生に、カット単位で撮影場所や時刻を同定してもらう作業を委託いたしました。田中先生はすでに東京理科大学研究室のチームにおいて、同じような作業に取り組まれていた実績[注3] をお持ちで、今回の仕事はその大規模な追補・更新の作業になりました。田中先生による調査研究の成果により、作品全篇を多くのクリップに切り分け、クリップ単位で撮影場所や映されている内容についての情報にアクセスできるようなページ構成の実現が可能になったわけです。

しかし、これだけの条件が揃っていながら、それでもなお不安は拭えませんでした。ユーザーに届けたい材料は熟知していても、アクセス方法についての工夫を施すことはできたとしても、届けたいという意思を伝える明確な言葉が見つからない、というもどかしさを感じていたのです。サイトはまず、震災記録の決定版と言われてきた『關東大震大火實況』の公開からスタートしたいと考えていました。この作品は、地震発生直後の激甚な被害や避難状況の点描から始まります。ただし、これらの場面はそれほど長くはありません。むしろ、作品の大半は政府や社会団体などによる救護や復旧・復興への動き、天皇・皇族による被災地の視察や支援などの描写に割かれており、取り扱っている対象は幅広く、撮影時期も10月過ぎまで及んでいます。震災後の現実の複雑さを反映した作品であるがゆえに、これをトップバッターに掲げたこのサイトをどのようにアピールしたらいいのか、迷っていたのです。要は、関東大震災という歴史をどのように捉え、これを記録した映像をそこにどう位置づけるのか、サイトを貫く視座のようなものが見えていなかったのです。
 そのとき何気なく手にしたのが、10年前に買ったまま積読していた北原糸子先生の著書『関東大震災の社会史』[注4]でした。そこには、多彩な資料を綿密に読み解くことから、この災害が社会の諸相にどれだけの影響を与えた歴史的事象であったのかを立証していく作業が丹念に記録されていました。被災地の災禍はもちろん、救護や救援の活動が全国にまで影響を及ぼしたことを、地方庁の公文書から明らかにしています。尋ね人、バラック建設、義捐金、メディアによる報道といった個々の事象を、著者は「社会史」という視点から、人々の動的な営みとして捉えている。この「社会史」という視点が、『關東大震大火實況』を初めとする震災記録映画から、私たちが何かを読み取っていく際のベクトルになるではないか。迷える羊に一筋の光が射してきた瞬間でした。
 震災記録映画が映像による「関東大震災の社会史」の記述なのだとすれば、人間の存在が前面に出てくるのは当たり前のことかもしれません。サイトでは、2022年3月末の更新時より、専門家によるコラムのページを設け、独自の視点で映像を読み解いてもらうことにより、新たな学びにつながるガイドとなるような原稿を執筆していただくことになりました。寄稿いただいた多くの方が目を向けたのは、画面に映っている人の姿でした。確かに、映像は罹災者、避難民、焼け出された人々といった言葉では到底吸収できないような多様な人のありようが、そこにあることを伝えています。同時に、その背後には、死臭漂う現実を写しているキャメラマンの眼があり、映画をいま私たちが見ている形に編集した製作者や興行者たちの意図があり、その映画を当時見ていた観客の存在があることを、示唆するものでもありました。動画に記録されたコンテンツを仔細に分析しながら、さまざまな人がそのコンテンツの成立にどのように加担し、どのような反応を示したのか、コンテンツを幾重にも取り巻くコンテクストを可能なかぎり想起していくことが重要なのではないか。2年以上に及ぶサイト編集の作業を通して、ようやくこの至極当たり前のことに気がついたのです。

映画は、「関東大震災の社会史」が扱う宏遠な対象の、ごく一部の記録に過ぎません。記録されなかったもの、記録できなかったものはあまりに膨大です。しかも、もはや実体験をされた方のほとんどが亡くなられ、それを伝聞として受け継いできた者も少なくなりつつあるなかで、当事者性をもって歴史の記録と向き合うのは、どんどん困難になっていきます。それでも、映画が歴史資料としての価値を持ち、次世代への教訓として役立つことができるとすれば、それは一つのデジタルアーカイブで完結できるものでなく、他のアーカイブを初めとした資料群と接続し、それを活用するユーザーやそこから何かを創造するクリエーターに対して、常に開かれたものでありつづけなくてはならないはずです。あらゆるデジタルアーカイブと同様に、「関東大震災映像デジタルアーカイブ」も未完のアーカイブです。そして、未完のアーカイブとして存在しつづけなくてはならないアーカイブなのです。

  • 『シンポジウム報告論集 関東大震災と記録映画―都市の死と再生―』(東京大学大学院人文社会系研究科21世紀COEプログラム「生命の文化・価値をめぐる『死生学』の構築」、2004年)
  • 大澤浄「関東大震災記録映画群の同定と分類――NFC所蔵フィルムを中心として」(『東京国立近代美術館研究紀要』17号、2013年)
    (東京国立近代美術館リポジトリ)http://id.nii.ac.jp/1659/00000043/
  • 東京理科大学辻本誠研究室における研究の成果は、たとえば、田中傑、宝田雅之、作本圭、鈴木一葉、辻本誠、西田幸夫、川西崇行「関東大震災記録映像の整理と火災研究への有用性」(日本火災学会「平成26年度研究発表会概要集」2014年)284-285頁。
    (科学技術振興機構 researchmap)
    https://researchmap.jp/ketz_tanaka/published_papers/7596915
  • 北原糸子『関東大震災の社会史』(朝日新聞出版、2011年)。なお、2023年に、本書の再版を目的に、関東大震災に続く昭和三陸津波(1933年)と東日本大震災(2011年)の災害復興を一連の系譜としてまとめた『震災復興はどう引き継がれたか 関東大震災・昭和三陸津波・東日本大震災』(藤原書店、2023年)が出版された。

(注)ご利用の端末によってはコラムの中の動画を再生できないことがあります。

一覧に戻る