焼跡に残る吉原大門の柱と吉原病院の門

福地櫻痴揮毫による書が彫られた大門の門柱越しに見る、焼野原となった吉原の惨状。吉原病院も灰燼に帰した。

クリップ詳細

クリップ名称 焼跡に残る吉原大門の柱と吉原病院の門
映画題名 大正拾弐年九月一日 猛火と屍の東京を踏みて
クリップTC[in/out] 00:08:26:18 / 00:09:09:01
カテゴリ[場所/シーン] 台東 / 避難,焼失,倒潰・損壊
推定される撮影場所 新吉原大門および吉原病院の門
推定根拠 『維新外史』では吉原の大門に刻まれた文字を「春夢正濃 満街櫻雲」(右柱)、「秋信先通 兩行燈影」(左柱)と記している。『古今災害寫眞大觀』は「慘又慘 不夜城吉原遊郭の供養」と題して「新吉原 取締仮事務所」という仮の表札の掛かった門柱を掲載している。
典拠資料 安藤徳器『維新外史』(日本公論社、1940年)331頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1046663/172
玉井淸文堂編輯部編『古今災害寫眞大觀』(1934年)頁番号なし
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1274966/96
旧住所 浅草区新吉原江戸町8番地のやや東側(新吉原五十軒町5番地)から南南西(右柱)〜南(左柱)を撮影。浅草区千束町2丁目462番地付近で西(門柱拡大)と南西(門柱左手)〜西南西(門柱右手)を撮影。
新住所 東京都台東区千束4丁目33-1のやや東側(同35-4)から南南西〜南を撮影(大門)。同千束3丁目20-3(吉原病院の門)。
推定される撮影時間 午前中
推定根拠 大門の左柱(南方)を撮影している際に太陽がほぼ東から差している。また、吉原病院の門のカットでは太陽は東〜東北東から差している。
典拠資料 -
関連資料 -
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