避難小屋の列と八百屋の立売所

避難用の仮小屋と八百屋の立売所が並ぶ道を人々が行き交う。赤子を負ぶった母と子が歩いていく姿をカメラは追っている。

クリップ詳細

クリップ名称 避難小屋の列と八百屋の立売所
映画題名 大正拾弐年九月一日 猛火と屍の東京を踏みて
クリップTC[in/out] 00:07:54:23 / 00:08:16:20
カテゴリ[場所/シーン] 台東 / 避難,救助・救護・救援,避難生活の場
推定される撮影場所 浅草公園第4区の昆虫館の南西付近で撮影か。
推定根拠 直前のシーン(全篇のタイムでは07:44から07:54)は仲見世の煉瓦店舗の廃墟から北北東を撮影しているが、太陽が右=東から差しているため、午前中の早い時間帯での撮影と判る。本クリップの00:00から00:02では太陽は右斜め後方から差している。これが浅草公園付近で撮影されたものと仮定すると、本クリップとクリップ「浅草寺観音堂前で食料を求める人々」のいずれが先に撮影されたかは不明ではあるが、上述の直前のシーンからはやや時間が経過した時点で西側に木立がある場所を撮影したと考えられるため、浅草公園第4区にあった瓢箪池のやや東の木立沿いに北東-南西方向に並んだバラック建築を西から北に向かってパン撮影したものと考えられる。クリップ冒頭には、活動写真館の富士館の半纏を着た男が映っている。00:08からのシーンは直前のシーンに比べて太陽が高くなっているように見える。00:13あたりからフレームの中央に映る母子3人の影は左斜め後ろに伸びているので、花屋敷の南、水族館の北西に北西-南東方向に続く園路沿いを撮影したと考えられる。母子3人はクリップ「焼跡に残る吉原大門の柱と吉原病院の門」の00:20あたりから再び画面中央に映るが、この間、何か買い物をしたのか風呂敷を抱えている。また、カメラを避けるように道の反対側へ行ってしまう。
典拠資料 浅草公園第4区の園路の形状については、『東京市及接續郡部地籍地圖』下巻(東京市區調査會、1912年)浅草區41「馬道町三、五丁目、淺草公園 自一區至六區」
(国立国会図書館デジタルコレクション) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966080/106
旧住所 浅草区浅草公園第4区
新住所 台東区浅草2丁目7
推定される撮影時間 午前中
推定根拠 -
典拠資料 -
関連資料 -
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