海軍が設置した救護所と日本赤十字社岡山支部の診療活動

横浜での救護に派遣された海軍により設置されたテントと、救急にあたった日本赤十字社岡山支部の活動を描く。

クリップ詳細

クリップ名称 海軍が設置した救護所と日本赤十字社岡山支部の診療活動
映画題名 関東大震災[伊奈精一版]
クリップTC[in/out] 01:13:42:06 / 01:13:57:15
カテゴリ[場所/シーン] 横浜 / 救助・救護・救援
推定される撮影場所 山下橋畔に設けられていた海軍救護所本部
推定根拠 2名の将校は大佐の肩章を着けており、右が山城艦長の鳥崎保三、左が春日艦長の百武源吾と見られる。『神奈川縣震災誌』31頁および33頁によれば、日本赤十字社岡山支部は9月7日から9月17日にかけて「新山下町海軍司令部」において、また、9月29日から10月29日にかけて「新山下町天幕内」において、それぞれ救急活動を行なった。春日の横浜での活動が9月13日までだったため、このシーンは山下橋畔に設けられていた海軍救護所本部で撮影されたと考えられる。
典拠資料 神奈川縣『神奈川縣震災誌』(1927年)「第一章 概説」31頁および33頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446906/43https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1446906/44
旧住所 新山下町
新住所 横浜市中区新山下町1丁目
推定される撮影時間 9月7日から9月13日のあいだ
推定根拠 『東京震災録 前輯』5頁によれば、山城は9月3日、春日は9月4日にそれぞれ横浜に到着し、その9月4日には「橫濱山下橋畔ニ海軍救護所本部ヲ設」けられた。また、同書7頁および25頁によれば、山城は9月19日、春日は13日に横浜での任務を終えている。2名の将校は大佐の肩章を着けており、右が山城艦長の鳥崎保三、左が春日艦長の百武源吾と見られる。00:12から日本赤十字社岡山支部の看板が映るが、『神奈川縣震災誌』31頁および33頁によれば、同支部は9月7日から9月17日にかけて「新山下町海軍司令部」において、また、9月29日から10月29日にかけて「新山下町天幕内」において、それぞれ救急活動を行なったという。
このうち、山下橋畔は震災当時、既成市街地だったこと、新山下町は埋め立てられたばかりの場所だったこと、さらに『大正大震大火之記念』所載の「横濱市附近燒失地域及避難者集團救護機關配置圖」によれば新山下町付近に「糧食配給所」の印があるため、そこが撮影地点であると考えられる。
典拠資料 東京市役所『東京震災錄 前輯』(1926年)「第一篇 応急措置 第二章 各紀 第二節 政府の活動 坤 活動 辰 海軍省及海軍の活動」5頁、7頁、25頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448386/376https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448386/377https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448386/386
内田茂文『大正大震大火之記念』(每日通信社出版部、1923年)52頁と53頁の間「横濱市附近燒失地域及避難者集團救護機關配置圖」
関連資料 -
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