東北帝國大學救護班の活動

上野精養軒に救護出張所を設け、外来患者の診療を行った東北帝國大學救護班の活動風景

クリップ詳細

クリップ名称 東北帝國大學救護班の活動
映画題名 大正十二年九月一日 帝都大震災大火災 大惨状
クリップTC[in/out] 00:26:08:21 / 00:26:47:00
カテゴリ[場所/シーン] 台東 / 救助・救護・救援
推定される撮影場所 上野精養軒のパーゴラ
推定根拠 旗に「東北帝國大學救護班」と書かれている。『東京震災録 後輯』(1926年)によれば、同大学は9月5日から9月9日にかけて上野公園自治会館で救護活動に従事し、その間、6日から8日には上野精養軒に出張所を設けた。
その後、上野精養軒の出張所は京都帝国大学に譲られたが、その京都帝国大学の活動を記録した築地本願寺による記録映像『関東地方震災 本派本願寺 救護宣伝部』では、本シーンの椅子と同じ背もたれをもった椅子やパーゴラが確認できる。
典拠資料 東京市役所編『東京震災録 後輯』(1926年)263-264頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448445/141https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448445/142
旧住所 下谷区上野公園地
新住所 台東区上野公園
推定される撮影時間 9月6日または9月7日と推定
推定根拠 パン撮影による2カット目で、00:09あたりのフレームにおいて中央に座るカンカン帽の人物が最年長であると考えられる。『東京震災録 後輯』(1926年)では東北帝国大学の救護班に参加した教授5名の名を挙げており、先述の人物の頬骨の目立つ相貌は第一班に属していた明城彌三吉(当時46歳)のそれに似ている。第二班の到着と第一班との交代は9月7日であった。
典拠資料 東京市役所編『東京震災録 後輯』(1926年) 263-264頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448445/141
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448445/142
東北大学五十年史編纂室収集写真「明城弥三吉」
(東北大学史料館 東北大学関係写真データベース)http://webdb3.museum.tohoku.ac.jp/tua-photo/photo-img-l.php?mode=i&id=D09-1-50J-036
関連資料 -
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