避難民らであふれる田端駅周辺と構内

田端駅の跨線橋には避難する人々が列をなし、駅構内は貨物列車から降りる人たちであふれかえっている。

クリップ詳細

クリップ名称 避難民らであふれる田端駅周辺と構内
映画題名 東京関東地方 大震災惨害實况 大正十二年九月一日二日三日
クリップTC[in/out] 00:25:46:04 / 00:26:41:20
カテゴリ[場所/シーン] 北 / 避難,救助・救護・救援
推定される撮影場所 田端駅周辺と駅構内
推定根拠 最初のカットに映る跨線橋は『震災五十八景』(1924年)にも見える。また、3番目のカットでは画面右端に「巖手●上 / 土」(●は判読不能)という幟旗が見える。『東京震災録 後輯』(1926年)によれば、岩手県の諸団体が活動した駅は田端駅と川口駅で、そのうち田端駅において岩手郡厨川村救護班(土淵青年団)が田端駅で救護品の荷下ろし、食料、飲料水の配給を実施。
典拠資料 關露香著、羽鳥古山画『震災五十八景』(番町書院、1924年)58コマ目・田端駅
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966762/58
当該の画に先立つ文章の題名は「汽車の避難民 品川と田端驛」。目次の題名は「田端驛」。
東京市役所編『東京震災錄 後輯』(1926年)第二巻第一篇第二節第二段「東北線方面」第四件「岩手縣の活動」267-268頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449771/143https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449771/144
旧住所 北豊島郡滝野川町田端付近
新住所 北区田端1丁目付近
推定される撮影時間 9月8日〜12日(田端駅で岩手県土淵青年団が活動した期間)
推定根拠 『東京震災錄 後輯』に、土淵青年団が9月7日に地元を出発し、9月13日に帰郷するまでのあいだに4日滞京作業したと記されている。
典拠資料 東京市役所編『東京震災錄 後輯』(1926年)第二巻第一篇第二節第二段「東北線方面」第四件「岩手縣の活動」267頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449771/143
関連資料 -
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