宮内省巡回救療班による往診

宮内省巡回救療班とは、屯所や収容施設において罹災者の往診・来診を行った救援活動の組織である。全9班で構成され、9月14日から翌年3月まで医療活動に従事した。

クリップ詳細

クリップ名称 宮内省巡回救療班による往診
映画題名 關東大震大火實況
クリップTC[in/out] 01:01:48:22 / 01:02:05:13
カテゴリ[場所/シーン] 不明 / 救助・救護・救援
推定される撮影場所 不明
推定根拠 -
典拠資料 東京市役所編『東京震災録 前輯』(1926年)第二巻第一篇第二章第一節 18頁によれば、宮内省巡回救療班は、第1班下谷、浅草、第2班京橋、麹町、第3班深川、第4班横浜北半部、第5班麻布、赤坂、牛込、小石川、四谷、第6班芝、深川、砂村方面、第7班本所、亀戸方面、第8班芝公園、第9班横浜南半部という分担だった。
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1448386/62
旧住所 -
新住所 -
推定される撮影時間 -
推定根拠 -
典拠資料 -
関連資料 宮間純一「『巡療日誌』からみる宮内省巡回救療班の活動―第一班を中心に」(『昭和天皇記念館・宮内庁宮内公文書館主催展示図録 摂政宮と関東大震災 宮内の記録から』[2013年]所収)に掲載された写真4「9月29日貞明皇后上野罹災民収容所行啓」のキャプション「救療班第一班自動車」と、このクリップの次に出る車のプレートや表示は同一なので、第一班を撮影したものかもしれない。なお、『宮内省巡回救療班報告書』によれば、第一班は9月30日以降、本郷区、下谷区、浅草区、王子方面の担当になった。
宮内省巡回救療班「巡療日誌 第一班」大正十二年十月三日条には「此日文部省より活動写真撮影技師を伴ひ宮内省巡回救療班の活動状況を撮影したり」と記されている。
また、『宮内省臨時災害事務紀要』(1924/25年)には、以下の記述がある。「文部省學藝官中田俊造氏我カ班ノ救療状況ヲ活動寫眞ニ撮影シ、廣ク天下ニ傳ヘテ陛下御仁慈ノ一端ヲ周知セムシヘク、殊ニ宮内省カ醫ヲ派シテ自ラ率先シテ此ノ窮巷ニ入リ親シク救療ニ従フノ状ヲ観セシメンコトハ、国民教育上ニモ亦必須ノ事ニ属スト為シ、同省ノ意向ヲ齊ラシテ請フ処アリ、十月三日ヲ約シ、技師数名ト共ニ各班ニ就キテ其ノ実況ヲ撮影セリ」(宮間[2013年]註14)。
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