日比谷公園内に設置されたバラック

三井が建設し、臨時震災救護事務局が寄贈を受け、東京市に管理が委ねられた日比谷公園内のバラックと避難民の生活風景。

クリップ詳細

クリップ名称 日比谷公園内に設置されたバラック
映画題名 帝都大震災 大正十二年九月一日(別題名 震災ト三井)
クリップTC[in/out] 00:28:27:18 / 00:30:02:17
カテゴリ[場所/シーン] 千代田 / 避難生活の場
推定される撮影場所 日比谷公園から東、北東、南〜南南西の方角をそれぞれ撮影してる。
推定根拠 「罹災者避難所 三井寄贈」と妻壁に書かれたバラックの背景に、帝国ホテルの本館中央部分(左手)と同南翼(右手)が映る。その後、カメラは右手にパンしていき、日本勧業銀行本店の屋根(00:36あたりの中央奥)が映る。バラックの路地のシーンは、00:57あたりが東の方角(背景中央に愛国生命保険、同じく右手に帝国ホテルの屋根が映る)を撮影し、次いで01:05あたりは北東方向を撮影(背景右手に愛国生命保険の北西隅が映る)、01:14あたりは東方向を撮影(遠景右手に愛国生命保険の南西隅が映る)している。最後は南〜南南西方向を撮影している。
典拠資料 -
旧住所 麹町区西日比谷町
新住所 千代田区日比谷公園1
推定される撮影時間 9月下旬の午後の時間帯
推定根拠 影の向きから判断した。警察官が白い夏服を着用している。警察官及消防官服裝規則第11條(明治41年2月内務省訓第1号で改正)によれば、夏服は炎暑の時期、すなわち、およそ6月1日から9月末までの間に着用することになっていた。罹災者の服装も夏の格好なので、地震による混乱(例えば、冬服の焼失など)が先述の規定の運用に影響していなかったとすれば、撮影は9月半ばのバラック竣工以降、同月いっぱいか、おそくとも10月の早いうちまで、ということになる。また、バラックの傍に赤十字マークのついたテントが見える。日本赤十字社『大正一二年關東大震災 日本赤十字社救護誌』(1925年)によれば、同社の日比谷公園での活動は9月13日に開始され、11月15日まで続けられた(76頁)。不忍池のバラックの前後に撮影した場合、クリップ「上野・不忍池畔に設置されたバラック」で記述したように、9月。
典拠資料 警視廳總監官房文書課記錄係編『警察法令類纂 第壹輯』(財團法人自警會、1927年)409頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1464434/230
日本赤十字社『大正一二年關東大震災 日本赤十字社救護誌』(1925年)76頁
(国立国会図書館デジタルコレクション)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/985267/83
関連資料 -
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